中国人民抗日戦争70周年記念式典とは?

中国人民抗日戦争70周年記念式典が2015年9月3日に北京の天安門広場で行われました。
軍事パレードは今までも定期的に行われていますが、今回は、それに加えて、抗日戦争70周年記念という特別な式典でもあり、世界各国から代表が参加しました。

ここで少し歴史の勉強をしたいと思います。
斎藤宏幸 2024.05.10
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中国人民抗日戦争70周年記念式典が2015年9月3日に北京の天安門広場で行われました。

軍事パレードは今までも定期的に行われていますが、今回は、それに加えて、抗日戦争70周年記念という特別な式典でもあり、世界各国から代表が参加しました。

ここで少し歴史の勉強をしたいと思います。

日本は第二次世界大戦で米国やイギリスなど連合国と戦いました。

そして、中国とも戦争しましたが、その当時の中国というのは蒋介石率いる国民党軍でした。当時の中国は無政府状態であり、中国各地に軍閥が組織され、内戦状態でした。

そのような状況で孫文や蒋介石が率いる国民党軍が北伐をして、南京に蒋介石を首席とする国民党政府が一旦成立しました。

しかし、毛沢東率いる共産党軍を完全に滅ぼすことができず、中国は完全に統一されたとは言えない状況でした。

日本軍(関東軍)は満州国を拠点として、蒋介石率いる国民党軍と戦いました。

当時、蒋介石率いる国民党軍は正規軍であり、一方の毛沢東率いる共産党軍は、地方の軍閥にすぎませんでした。

度々、国民党軍と共産党軍が協力して日本軍と戦おうという計画(国共合作)が出ましたが、蒋介石は徹底して共産党と手を組むことを拒否してきました。

しかし、蒋介石が軟禁される事件(西安事件)が起き、国共合作が実現します。

日中戦争(中国の言う抗日戦争)の間、毛沢東率いる共産党軍は後方にて直接日本軍と対峙することはほとんどありませんでした。

日本が連合国に対し無条件降伏し、中国全土から日本軍が引き上げると、蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党軍は再び内戦状態になります。

その後、日本軍の全面に立って戦力を消耗した国民党政府軍は、後方で力を蓄え、巧みな宣伝活動で人民を味方につけた共産党軍に敗れ、台湾に避難します。

蒋介石率いる国民党軍に勝利した、毛沢東率いる共産党軍は、1949年に北京を首都とする中華人民共和国(英語名PRC)を建国しました。

ここで簡単な計算をしてみます。

記念式典を行った2015年から、共産党が建国した年1949年を引くと66年となります。

日本が無条件降伏した年が1945年ですので、そこから計算すると70年となります。

66年だろうが70年だろうが、どうでもいいことかもしれませんが、問題は算数の問題ではありません。

日本軍が日中戦争で戦ったのは、ほとんど蒋介石率いる国民党軍であり、毛沢東率いる共産党軍ではなかったということです。

そして、共産党軍が建国できたのは国民党軍に勝利した為です。

当時の状況は複雑に入り組んでいて単純化できませんが、わかりやすく例えるならば、トーナメント線で、まず国民党軍と日本軍が戦って国民党軍が勝利。

(実際は、日本軍が圧倒的に勝利していましたが、日本軍が連合国に降伏した為に、中国から引き上げた結果の勝利となります)

次にその勝利者である国民党軍と共産党軍が戦って共産党軍が勝利。そして、勝利者である共産党軍が中国を建国した、という図式です。

つまり、今現在中国を建国して統治している共産党は、日本軍と全面に立って戦ったことが、ほとんどないということになります。

それがどういうことだ、何が問題なんだと批判されるかもしれません。

間接的にも、日本軍に勝利したことにはかわりないのではないか、と言われるかもしれません。

確かにそういう考え方でもいいのかもしれません。

でも、歴史的に検証すると、今、中国を統治している共産党は、蒋介石率いる国民党との戦いに勝利した結果、建国したのです。

日本軍に勝利した結果、建国したのではありません。

抗日戦勝利70周年記念式典は本来であれば、蒋介石が率いていた国民党が行う式典であり共産党ではありません。

国民党でも共産党でもどっちでもいいだろう、と怒られるかもしれません。

でも、徳川家康は豊臣家との戦いに勝利して江戸幕府を開いた、という歴史を、

徳川家康は織田信長との戦いに勝利して江戸幕府を開いた、と言われたら、

あなたはどう思いますか?

織田信長亡き後、その後継者となった豊臣家を倒したのだから、間接的には織田信長に勝利したと言えないこともないではないですが、本当にそれでいいのですか?

そんなことを言い出したら、歴史はめちゃくちゃになってしまうでしょう。

歴史に学ぶこともできなくなってしまうでしょう。

プロパガンダに振り回されるのではなく、歴史を学びたいものです。

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